遍照寺
住職のひとりごと

インドの仏跡を巡って来ました

2017年3月1日公開

2月7日より7泊8日の日程でインドの仏跡を巡ってまいりました。

ブログの更新を早くと思いながらも、帰国後、毎日予定に追われ、その上、巡拝の疲れが長引き気力が衰えてしまいました。

予想以上の強行軍の上、想像を絶する凸凹の悪路に揺られての移動となり体力との勝負でした。

 

7日

早朝、香住を立ち関西空港に向かい、13時過ぎ機上の人となり、香港経由で、日本時間24時にデリー空港に降り立つ。
入国手続き、インドではマリーゴールドは神仏に捧げる神聖な花であり、お客様を迎える花輪にもなり、花輪で歓迎を受けホテルへ移動、チェックインしてシャワーは、3時30分。

時差3時間30分によりインド時間24時

 

8日

今日は、空路でパトナに向かい、釈尊常住の地、ラジギールへの行程ですが、いきなり濃霧により飛行機が遅れる。

11時50分デリー発、1時間30分で機内より雄大なヒマラヤ山脈の雪景を眺めながらビーハール州の首都パトナへ着く。

ここより最後までお世話になる30人乗りの専用車に乗り込みラジギール(王舎城)へ向かう。

14時30分の遅い昼食を済ませ、玄奘三蔵法師が留学したナーランダ大学跡は、パスしてひたすらラジギールを目指すも渋滞などで当日の予定は全て翌日回しとなる。ホテル着は8時30分となり、当州は、アルコールの販売・飲酒は御法度となっているためアルコール抜きで、日本料理を頂き翌日は5時30分出発のため早々にベッドへ。(インド法華ホテル泊)

7・8日の2日間は、全て移動の時間となってしまいました。

 

9日

いよいよ仏跡参拝の始まり、先ず早朝より、お釈迦様が、説法の拠点とされた霊鷲山へ暗闇の中、30分程歩を進める。
道中、老僧の腰を添乗員様と2人で押し、無事頂上に辿り着く。
私の父も喜寿の頃、若い僧に助けられて霊鷲山にお参りをした話しを聞いていたため少しは恩返しが出来たかな?
恩返しは、他人にするものである事を、聴いたことがある。
頂上でお勤めが済む頃、陽が昇り始めご来光を仰ぐ。
その美しさと共に、2600年以上前のお釈迦様と同じ日常の風景を目にして感慨格別なものであり、お釈迦様の聖地に立たせて頂いた喜びを体一杯に受け下山。

懐中電灯で登山・小休止
頂上にてお勤めの後の記念写真
ご来光

下山、その足で仏教世界最古の寺院跡である竹林精舎を参拝。

王舎城のビンビサーラ王は、遊行中のお釈迦様に会われ、悟りを開かれた暁には、再び王舎城を訪れ、法を説く事を懇願され、月日が過ぎお釈迦様の説法に感激し、竹林園を寄進し、精舎が建立されました。

竹林精舎があったカランダの池
カランダの池で記念写真

仏教に帰依しお釈迦様を支援された、そのビンビサーラ王は、最後は、一人息子の王子に牢獄に監禁され食事も与えられずに世を去りました。
ビンビサーラ王の牢獄、悲劇の舞台となった石組みの跡地を巡り、ホテルへ帰館して朝食。

 

8時30分

ホテルを発ち、道中、王舎城の城壁を眺めながら、お釈迦様悟りの聖地ブダガヤへ向かう。

 

10時45分

いよいよ世界遺産に登録されている成道の地へやってきました。

大菩提寺正面

 

成道の地に建つ大菩提寺(大塔)は、AD350年建立されました。
13世紀に入りアフガニスタンのイスラム軍団が北インドに攻め入り、仏教・ヒンドゥー教・ジャイナ教の寺院・仏像・神像の破壊を行いましたが、ブッダガヤに残った佛教徒は、このお寺を土で覆って小高い丘に偽装して破壊から守りました。
600年後の19世紀に入り、発掘され整備される。

大菩提寺の裏側に、まさに悟りの地を示す金剛宝座と金剛宝座を覆いかぶさるように菩提樹の聖木があります。
大勢の参拝者・瞑想者に混じって座してお勤めをし、お釈迦様への思いますます深まる。

 

菩提樹下でお勤め
菩提樹の大木

大菩提寺でゆっくりとお参りを終え、悟り前にお釈迦様が沐浴を行った尼蓮禅河をわたり、スジャータがミルク粥の供養を行った村を訪眺め、粥供養が行われた事を記念して建立されたストーパーにお参りをし、昼食を頂き、13時45分250㎞先のベナレスを目指して走り出す。
叉叉、渋滞激しくホテル着は、10時30分となり、急いで夕食を済ませる。
今晩も、未だ乾杯が出来ず。疲れもたまり明日の行程を不安に思う人もあり。

 

10日

今日も5時30分出発。早朝のガンジス河の観光。

バラナシの街を徒歩でガンジス河へ向かう。既に大勢の人達が集まり、夜明けを待ち沐浴が始まります。
私たちは、木で出来た手漕ぎの船に乗って見学します。

ヒンドゥー教徒にとって聖なる河、ガンジス河の水は、全ての罪を洗い流し生まれ変わると信じられており、沐浴は一生の夢だそうです。
更に驚きは、河原で行われる火葬です。あちこちで薪が積まれて火が上がり、火葬された灰は、この世の苦しみから解放され解脱出来ると信じてガンジス河に流されます。

生も死も一つになったこの風景は、数百年も前から不変であることを実感出来ます。

夜明けを待つ大勢の人達
小舟より眺める岸

ビシュワナート寺院へ続く迷路の巡礼道を歩いてホテルへ帰る。
お釈迦様の聖地ではないが、インドの代表的な風景として百聞は一見にしかず、複雑な思いが交差する中での時間となった。

朝食の後、お釈迦様初転法輪(初説法)の地、サルナートへ向かう。

先ず、ムラガンダクーティ寺院へ。
インドで仏教が衰退した後、人々に忘れ去られ荒廃の一途を辿りましたが、イギリスの植民地時代にイギリス人考古学者の手によって仏教遺跡を発掘し、古代インドの仏教が解明されました。

発掘調査終了後、スリランカ人僧侶によって1931年に建立されて寺院です。
寺院入り口の真上には、日本仏教連合会から寄進された梵鐘が吊り下げられています。
残念な事に、撞木がなく撞く事が出来ませんでした。
内部の壁面には、日本人画家野生司香雪画伯(のうすこうせつ)の手により、お釈迦様の誕生から涅槃までの生涯が描かれています。大きく見応えのある壁画です。

日本仏教連合会から寄進された梵鐘
お勤めと壁画

参拝後、紀元前3世紀にアシャカ王が、仏教布教のために建立したアシャカ王柱へ参ります。
直径2メートル・高さ14メートルで柱部分が3つに折れている。

国宝:アシャカ王柱

続いてダメーク・ストゥーパーへ歩を進めます。

約2500年前ブッダ・ガヤーで悟りを開いた仏陀は、ここサルナートまでやってきて、ここで初めて自分の覚った真理を5人の修行者に伝えられました。
この最初の説法は「初転法輪」と呼ばれていますが、その「初転法輪」が行われた場所が、ダメーク・ストゥーパーの建っている所だと言われています。
当時はたぶん何もない原っぱだったと思われるその場所に、のちのアショーカ王が記念のストゥーパを建て、仏教信仰の中心になりました。

高さ43メートル・底辺直径36メートルのダメーク・ストゥーパー
右繞三匝して礼拝

更に迎仏塔を巡り、昼食。

初転法輪の為にブッダガヤからやってきたお釈迦様を5比丘が迎えたといわれています。
4~5世紀に建造されました。

迎仏塔前で記念写真

昼食もそこそこにお釈迦様涅槃の地270㎞先のクシナガラに向けて出発。
到着予定は、順調に走って20時。

悪路の上、今日は、ヒンドゥー教シブァ神の祭りとあって道中あちこちで大行列が行われており、渋滞はなはだしく車は進まない。
更にバスは、パンクして修理に2時間を要し宿入りが明日になる覚悟をしましたが、運転手さん頑張りました。11時に到着。
皆、疲れて元気なく早々にベッドへ。

 

11日

涅槃の地 クシナガラの巡拝と、誕生の地 ネパール国ルンビニを目指す。

朝、7時30分 巨大な涅槃像が安置される大涅槃寺を訪れる。

クシナガラを涅槃の地と定められたお釈迦様は、最後は、激しい苦しみの中を歩かれたと言われています。
クシナガラに着くとアーナンダに「2本の沙羅の樹の間に、頭を北にして床を敷いてほしい。私は疲れた。横になりたい」と告げられて大涅槃に入られました。

大涅槃寺の正面には、2本の沙羅の大木が茂っています。
堂内には、19世紀にヒラニヤヴァティー河の河床から発掘された全長6メートル強の涅槃像が安置され、この涅槃像は、5世紀の作品で仏滅2500年の大祭の時、ビルマ人仏教により金箔が施され現在の色となっています。

大勢の皆様が、参拝されており、私たちも堂外でお勤めをし、三匝してお参りを致しました。

大涅槃寺
堂内の涅槃仏

続いて最後に説法をされた場所に建つ小さな精舎を巡り、お釈迦様が荼毘に付されたラマバル・ストゥーパ(荼毘塚)へお参りしてクシナガラの巡拝は終わりました。

最後の説法の場所
荼毘塚

クシナガラの予定を終えて一路180㎞を走りネパール国ルンビニを目指す。
順調に走り、今日の予定を終えたいが、如何なものか。

道中、昼食場所がないため、弁当を積み込む。

ネパールに近づいて車が動かなくなり、入国が遅れる。税関職員が、ミイーテイグと称してストをしているとの事。
やっと16時30分頃にネパールに入り、タクシーを利用して急いでマヤ堂・アショカ王柱に向かう。

遠くの山では陽が沈みかけている。マヤ堂内には入れず、外でお勤めをし、アシャカ王が、仏教の普及の為に建立された王柱の説明を聞き、マヤ夫人がお釈迦様を生む前に沐浴をされた池を訪れ暗闇の中、宿へと急ぐ。
18時30分到着。
初めての早い宿入り。
でも、皆様疲れて元気がない。
用意された日本食にほっとしながら、ようやく乾杯をする。
私の部屋は、和室。和式の風呂・畳に癒されながら眠る。
今日の予定を終えることが出来てほっとする。

昼食の弁当
マヤ堂とアシャカ王柱
マヤ夫人沐浴の池

 

12日

気持ちよい目覚め。
6時30分スラバスティへ向けて出発。
230㎞の移動。
陸路でネパール・インドの国境を越えてインドに入国。
今日は順調な国境越え。
今回の行程の中では、一番の田舎を走っている感じする。
走れどもずうと田園風景。
仏跡参拝が始まってからずうと車窓は同じ。

ホテルにて昼食後、いよいよ最後の聖地、祇園精舎へ。
お釈迦様は、悟りから入滅の間、夏の時期、25回祇園精舎で過ごされ、雨期の間一定期間集団で修行されました。

この広大な場所には、発掘調査がされずに放置されている遺跡群がありますが、1980年代に関西大学の100周年事業で網干教授によって発掘された紀元前1世紀の巨大な沐浴池があります。

祇園精舎の近くの舍衞城は、コーサラ国の都の遺跡です。

更に近くには、日本の梵鐘会社が寄進された鐘楼があります。

広大な祇園精舎
関西大学によって発掘された沐浴池
舍衞城
日本人より寄進の鐘楼

15時30分、これをもって今回の仏跡巡拝は無事に成満致しました。

初めての早いホテル入り。
明日は、深夜便で帰国。
荷物整理をしてゆっくりと過ごす。

 

13日

帰国のため、早朝からラクノーへ移動し、空路でデリーへ飛び、長い待ち時間を利用してホテルでシャワー・仮眠・夕食をして深夜11時過ぎの便で香港を経由して14日の昼過ぎ関空に帰着する。

お釈迦様が入滅されて2600年、足跡を辿り、時空を越えて往事に思いを馳せて無言の語りに感じいる旅でした。
わずかでも原点の意識に目覚めさせて頂く事が出来れば有難いです。

 

北インドの農村は、まだまだ貧しく、仕事もなくたむろする人達、学校へ行けない子どもたちも多い。
家屋に江戸時代を思い出し、道は凸凹で埃がたち、ゴミのちらかりは想像を絶する状態、物乞いをする親子・子供の姿も多く、1日も早く豊かさが及ぶことを願わずにはいられません。

インドには、広大な土地と人的資源があり、いずれ世界のトップに立つ時が来るような予感もします。

 

今回は、写真の貼り付けもしていますが、不慣れで思うようになりません。悪しからずお許し下さい。