遍照寺
住職のひとりごと

春爛漫

2014年4月21日公開

ご無沙汰を致しました。いつもの事とお叱りを受けています。境内は、すっかり春モードに移り、日々の移り変わりに浮かれています。この春の桜花は、近年希にみる美しさでした。開花してから雨も降らず風も吹かず、長き渡り咲き続け待ちに待った私たちを感動へと誘いました。今、借景の山々は、新緑の盛りにして山桜との絶妙なコントラストに眩しく、境内では、枝垂れ桜が終わり、芝桜(オータムローズ) ・山吹・ シャクナゲが咲き、紅葉の新緑、苔の中からは、桔梗・笹百合・擬宝珠が可愛く出芽しています。エネルギーを感じパワーが沸いてきます。(画像は上から桔梗、擬宝珠、笹百合)

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まもなくつつじが開花

まもなく連休に向けて古木のツツジが開花し、境内は花一面となります。
規模としては、大規模なツツジ園に劣りますが、境内の仏花としてその存在を誇り、非日常の空間に感激いたします。
是非、お参り下さい。

見えない鹿の姿に妄想

裏山は、春の恵みの宝庫です。
竹藪にはタケノコが姿を現し、山の斜面には、ワラビと色々な山菜があります。
ところが、タケノコは猪の、ワラビは、鹿の食料となり無に等しい姿となっています。
猪は常連ですが、鹿が裏山に出没するのは初めてです。
鹿は、何でも食べ尽くして花木を枯らしてしまいます。
裏山といっても境内と地続きです。そこに鹿が出ているのです。
境内は、鹿の好物ばかりです。
鹿が花園の境内を跋扈(ばっこ)する姿を想像して、内心、戦々恐々としています。
悪いことばかりを考えて、鹿に振り回されていす。
仏教では、「妄想」を「もうぞう」と読みます。
「妄想」とは、あれこれと間違った事を思いめぐらし、迷いの世界に入ることです。
「妄想」は、煩悩の肥やしとなり大きくなるため、仏教では厳しく戒められています。
私たちは、自分で勝手に物語を作り上げ、強く思いこみ、事実と違うことに振り回されてしまうのです。
その典型は、「誤解」ではないでしょうか。事実でないことを自分の思いこみで
判断して思いこんで怒っている自分に気づくことがありませんか。考えたら滑稽な事です。

「慈しみ」

でも、私たちの日々、解っていても出来ない事ばかりです。
あなたが、一番うれしく思うことは何ですか。
人から親切にして頂いた時、困って助けてもらった時、過ちを許して頂いた時など色々ありますが、すべて他人から優しい心を頂いた時です。
その優しい心を他人に差し向ける事を「慈しみ」といいます。
この「慈しみ」の心を大きく育てることが、「妄想」を減らす事に繋がると思います。