2018年6月20日-11月30日まで募集した受賞作品
但馬の資源を見つめ直し、新しい地域づくりを目指すなかで、毎年恒例となった「桔梗吟行のいざない」として、「遍照寺の桔梗・矢田川流域・ジオパークの吟行」を呼びかけ、昨年も俳句の募集を行いました。たくさんの応募を頂き、第五回の入選作品が決まりました。
入選作品一覧
桔梗大賞
選評 桔梗と無音が実によく響き合っている。この句では桔梗の花は高貴な紫が最も相応しい。無音は無縁に通じている。有縁の人にも無縁の人にも浄土門は常に無音に開かれているのである。それが仏の慈悲である。
桔梗やと切り浄土門と名詞止めにした句姿もどっしりとして安定感がある。
澤井 洋子 選
蔦もみじ 血脈絶えし 平家村 作 谷岡信子 豊岡市
選評 澤井 洋子氏 余部の駅を下車して海へ向かうと、山道があり、深い谷を見下ろしながら登って行くとやがて分校に辿り着く。その先の平家村は、絶壁の上で、海からは見えない位置にある。もう少し登ると武将の墓が一基日本海に向いている。平清盛の弟教盛の墓と仄聞する。「血脈絶えし」はひっそりと隠れ住んだ平家一族の哀史を踏まえての惜辞であろう。蔦紅葉の赤さが反って哀れを誘う。閉鎖的であった平家村も先ず子供達が挨拶を交わすようになり、山椒や平家蕪で有名になってきている。分校の生徒も減りつつあるという。地元但馬の人ならではの一句である。
岡部 榮一 選
桔梗の 深き紫 観世音 作 稲垣多美子 出石町
選評 岡部 榮一氏 深き紫が花の尊厳を感じさせて良い。深きの表現によって観世音の穏やかなお顔が現れて来る。それが作者の内面の豊かさに通じているようである。言葉の繋がりや取り合わせの妙で深く大きくじっくりと広がることこそ俳句の想像力であろう。
小杉 伸一路 選
丹精に 応ふ桔梗の 色清し 作 石原清美 たつの市
選評 小杉 伸一路氏 私も洋蘭を育てているので、作者の云う「丹精」の心が解る。植物は世話をすればしただけの結果をみせてくれ、裏切らない。なおざりの庭には、決して美しい花は咲かないのだ。和尚さんの丹精の結果が桔梗の色に現れているのである。
一席
選評 紫の桔梗の凛とした色に妣(亡くなったはは)を思い起こした。当然清々しい白は考(亡くなったちち)の色。反対に白を妣、紫を考とすれば、少し寂しい感じがする。矢張り原句の通りが色合いの比重もピッタリである。心を無にして詠まれた佳句である。
花桔梗 観音堂の 道しるべ 作 大月千鶴子 但東町
選評 花桔梗を辿って行くと、寺領の少し小高い処にある観音堂に着く。道しるべに相応しく桔梗の花は優しく揺れている。まるで曼荼羅の道を歩む心地である。辿り着いて観音様を拝したとき優しい気持ちになって詠まれた。
選評 同じ桔梗でもこの句は白でなくてはならない。端正な庭は坊の意思とそれを忠実に具現させる坊が妻が居ればこそであろう。
選評 この句は、遍照寺のご子息をモデルとしたもの。若い僧の生命力と向学心とを凛とした眉の美しさで表現した。秋海棠という季題には若やいでいるが控えめというイメージがあり、季題の斡旋が良かった。
参拝す 桔梗咲く寺 凛として 作 黒坂扶美子 豊岡市
選評 毎年参拝されているのだろう。桔梗の咲く寺に親しみを感じて訪れたが、句碑の数も増え桔梗の花数も増え寺全体がどっしりとした佇まいである。「凛として」に思わず衿をただして参拝した作者が彷彿と浮かぶ。
選評 藍は桔梗の花の色。丹精を尽くしてこその深い桔梗の花の色である。花を見ている、花もみているのである。
ジオパーク特別賞
烏賊釣りの ランプに透けて 昼の海 作 川崎ふさ子 西脇市
選評 賞の特性を勘案し、海を詠んだ句を選んだ。烏賊漁船には、集魚灯が沢山並んでいる。そのランプの向こうに海が見える、と詠む作者。夜になると修羅場となる漁船も昼は佇むばかりである。夏の日本海の美しさが目に浮かぶ。
晴天や 風の絵筆に 咲く桔梗 作 小林正子 小野市
桔梗咲く 故郷の寺の 水ゆたか 作 長扶微子 香住
雨ごとに 開くつぼみや 白桔梗 作 川見雅子 日高町
郭公の 啼き澄む峡の 深きかな 作 柳田美鈴 赤穂市
法楽や 桔梗の庭に 佇めば 作 大石さち子 宇治市
桔梗の 咲いて整ふ 句碑の径 作 小柴智子 神戸市
地にこぼし 天に広げて 囀れり 作 斉木富子 神戸市
句碑開き 祝ぎて高舞ふ 夏の蝶 作 藤澤みか子 神戸市
昨日より 今日また青く 桔梗かな 作 石部英子 香住
その色も 寺領のひとつ 桔梗濃し 作 齊藤浩美 東海市
にこやかな 僧の案内や 花桔梗 作 白井貴佐子 赤穂市
鰯雲 香住漁港の 賑はひし 作 池上千恵子 豊岡市